東北大学を卒業後は、東京大学医学部口腔外科において研修の機会を得ました。充実した研修を満喫しながらも、いつ叶うかわからない留学の夢を抱きながら、毎日始発に近い電車に駆け込んでいたのを覚えています。東大での2年間の研修を経て、念願のハーバード大学歯学部に留学の機会を得ることができました。当初は、臨床そして研究のレジデントとして留学生活を始め、公私ともに色々な経験をしながら3年間の修士課程を無事修了する事が出来ました。帰国後は、東大でのさらなる研修を経て、再び研究の為に渡米いたしました。その後、ハーバード大学歯学部に入学そして卒業し、最終的にはアメリカの歯科医師資格を取得しました。
現在は、ハーバード大学歯学部で保存修復学のデイレクターを務めております。アメリカでも日本の歯学部と同様に、各教員たちは、教育、研究、臨床の3本柱を主として働いています。このパンデミックの中、いかに安全に、しかし質は落とさずに効率の良い教育を提供できるかに奮闘しております。また、女性の医療関係者の活躍をサポートできるようにと、コロナ禍におけるパンデミックの女性医師等への影響の研究を始めました。その成果もあってか、今年のアメリカ歯科教育学会にてTeaching Award を受賞させて頂きました。(https://hsdm.harvard.edu/news/hsdm-faculty-and-students-receive-awards-adea-annual-session)
光栄にも歯学研究科Newsletterへ寄稿をさせていただくという今回の機会にあたり、どの様なきっかけや経緯を経てボストンで勉学そして勤務することになったのかを振り返ってみました。大きな目標を掲げて頑張ってきたのではと、よく質問されることがあります。実は、当時の私には確固としたゴール等を考える余裕はありませんでした。むしろ毎日を非常に慌ただしく過ごしており、それは現在でもさほど変わりはありません。しかしながら、教師であった父の教えに従い、とにかく与えられた環境を、そして機会を無駄にしない様にと心掛けてきました。ハーバード大学歯学部に合格した時には、他に頼れる家族もいないボストンで子育てをしながらの勉強に、流石に怖気づき国際電話で母に相談したのを鮮明に覚えています。「やってみなければわからないから、後悔しない様に始めてみたら。ダメだったらいつでも帰っておいで。」この母の言葉にどれだけ助けられたかは言うまでもありません。
また、言語の問題等、どう転んでも乗り越えられない壁は気にしない様にしています。100点満点は無理でも、私の中で満足できる点数(これも違う意味での満点)を目指すというスタンスでやってきたような気がします。今後、勇気を出して世界に飛び出そうという後輩たちの挑戦を、微力ながらも応援させていただきたいです。しかし、心身を壊してしまうほどの頑張りは絶対に禁物です。現在は、まずコロナの動向に慎重に注目するのが一番重要ですね。一刻も早い収束を願ってやみません。

(左)修士課程修了時(中)歯学部卒業時(右)Harvard Teaching Awardを受賞時
